日銀総裁交代のウラ側で…

この4月、日銀総裁交代という実に 10年ぶり の出来事があり、ニュース報道でも大きく扱われていました。
いままで総裁を務められていた黒田東彦さんが着任したのが、2013年3月20日。
5年任期の総裁職を2期務めて、満10年。 ※厳密には前任、白川方明氏の任期補填のような時期が十数日分ありますが。
その間、総理大臣が、安倍晋三さん菅義偉さん、そして岸田文雄さんと3人も交代されています。

私自身は、2000年は「ついこの間」、1990年代さえも「つい最近」、1980年代くらいでやっと「ああ、ちょっと懐かしい昔だね」と感じる時間感覚で生きてしまっていますが、客観的にみると10年というのはつくづく長い年月です。

黒田さんが、4月8日退任するに先だって、3月10日行った記者会見4月7日に行った記者会見 の様子も大きく報道されました。

4月9日からこの座を継承した植田和男新総裁の会見も、また、大々的に取り上げられましたが、とくに目についたのは黒田さんの方の報道でした。
報道媒体によってはニュートラルに報じたり、あるいは “ある種の批判” も込めた論調で報じたりしていました(よく使われた形容は 自画自賛 でした)
私は、ここで黒田さんの“功罪”を云々するつもりはまったくありません。
私には、この10年間の日本経済の在り方について、正当に評価するだけの見識さえ無い、というのが正直なところです (^_^;

日本銀行総裁交代

日本の経済の舵取りを担う日本銀行の本店。なんとか、景気を良くしてくださいな

.。o○*

日銀の動き方について、少しでも勉強してみようか、という気持ちも手伝ったか、NHKのこんな番組が目に留まったりしました。

黒田総裁の 異次元の金融緩和 がだったのかそうでなかったのか、は、これを見ても、判断はつかなかった私です。
ただ、そんな私の目が(問題の本質とはまったく異なるところで)引きつけられてしまったシーンがありました。

この動画「証言ドキュメント」で、何人も登場してくる証言者のうちの一人の、名前です。

.。o○*

その名前は、あえてこの記事テキスト内で挙げることはいたしませんが、私が青春時代を送っていた或る大学の、或るサークルで一緒に時間を過ごしていた後輩がそこに座っていたのです。

いい感じで独特な姓名で、いい感じで特徴のある顔つきの人物だったので、もう、見間違いようがありません。
私にとってちょっと昔であった1980年代に一緒に活動をしていた人物が、このような「日本の経済を動かす立場」になっていたとは、まったく知らなかったので、ほんとうに吃驚しました。

.。o○*

ネット上で記載されている、この人物=Aさんの経歴を見ると、実にきらびやかなものです。

大学卒業後、
約23歳で カナダの銀行の東京支店に入行。
約24歳で カナダの別の銀行の東京支店に移籍。
約33歳で フランス系の投資銀行の東京支店に移籍(?)。
約42歳で 新生銀行キャピタルマーケッツ部の部長に就任。
約46歳で 同行 市場営業部の部長に就任。
約46歳で 同行 市場営業部の部長に就任。半年後、市場営業本部の部長にも就任。
約48歳で 同行の執行役員・市場営業本部 市場調査室長に就任。
約50歳で 同行の執行役員・金融市場調査部長に就任。
約51歳で 同行の執行役員・金融調査部長に就任。
また同年、日本銀行の政策委員会審議委員に就任。
約56歳で 日本銀行政策委員会審議委員を退任。翌日からSBI金融経済研究所の取締役に就任。
その他の企業の社外取締役にも就任。
※誕生月とかは計算に入れていないので年齢はすべて「約」です。

なにしろ、銀行の部長とか、執行役員とか、取締役です。
私は金融業界の組織形態にはまったく疎いものですが、大きな企業での部長職は、そうそう誰にでもなれるものではないだろうくらいの推測はできています。

そのうえに、「日本銀行」の「政策委員会」の「審議委員」です。
これも詳しくは認識しておりませんが、日本の金融施策をどうこうする立場 であろうことは、まず間違いないだろうと推測しています。
どう考えても、国を動かすお仕事 をされているわけです。
だからこそ、そもそものきっかけとなったNHKの  “日銀の足跡をふりかえる番組”  でインタビュー映像を使われる立ち位置になっていたこととなります。

.。o○*

Aさんの出身大学は、私の出身大学と異なりますが、Aさんは、我々の大学のサークルに毎週足を運んでピアノ演奏を担当してくれていたものでした。

そのAさんが23歳のときは、私は28歳。
大学を卒業した後であるその頃も、同じサークルのOB同士として(私は若干の先輩風を吹かせながら)東京・目黒区所の繁華街で、いっしょに飲んだくれていたものです。

私は大学卒業後はコピーライターになって、そこそこの仕事を、そこそこにしていたものですが、その間、Aさんはあれよあれよという間にビジネスキャリアの梯子を駆け上って、高い高いポジションへと上昇されていたわけです。
それを、今回のことで、初めて知りました。

.。o○*

私が自分の人生を悔いている、などという事はまったくありません。
ただ、同じ学生時代を過ごしていた友人が “がんばってそういうポジションまで昇りつめていたこと”  を知ると、やはり「自分はあまりパッとしていなかったかなぁ」という気持ちにもなったりします。

がんばって」などと勝手に書いてしまいました。が、がんばっていないはずは無いと思います。
そこは、間違っていないでしょう。
がんばりもしないで、(周囲の環境のおかげだけで)そこまで階段を昇りつめることができる人など、絶対に居ないからです。

Aさん、がんばったんだな。

改めて、そう思います。

しかも、ネット記事を眺めていくと、Aさんに対する評価が必ずしも良い話ばかりではないことにも気づきます。
Aさんは、それなりに逆風も吹く環境の中を進んで、今に至っているのだろうと思います。
おそらく半沢直樹のような、池井戸潤さんが書く小説のような、ドロドロした場面がたくさんあったに違いありません。

Aさん、がんばったね。 大変だったね、きっと。

そういう言葉を投げかけてあげたい気持ちでいっぱいです。

.。o○*

40年近い年月を経て、私がAさんと再会することは、まぁ、無いと思うので、ここで、遠くから、そういう気持ちだけお贈りすることにします。

以前の当コラム欄で、当時の政権に対して「日本の舵取りをよろしくお願いしますよ」という気持ちを込めたコラム を書いたりもしましたが、それとは別の意味で、Aさんの今後ますますのご活躍をお祈りするものです。

……と、ここまで書いて、ふと我に返って気がつきました。
私は、ヒトゴトのように客観的なことを言って済ませるだけにはできませんね。

がんばれ、俺。
お前(タカサワ)こそ、がんばらなアカンやろ!

はい。
人生まだまだ、これから。
私こそ、がんばらなくてはいけませんね。