前回、この夏に、生まれ故郷である 東京の下町 を訪れたことを記しました。
その他には「どこそこへ旅行した」「なにそれをした」などと言えるものはあまりない夏でしたが、映画だけはチラッと観に出かけました。
かつては、夏に限らず、月に3本くらいは映画館へ足を運んで、古今東西を問わずさまざまな映画を見耽けていたものですが、近年は諸事情から、夏や年末などに思い立って見に行く程度になっています。
そして今回 “思い立って” 近所のシネコンへ足を運んで観に行ったのは、2本。
ひとつは『インディ・ジョーンズと運命のダイヤル』。
そしてもうひとつは『君たちはどう生きるか』。
前者は約40年前(1981年)に「レイダース/失われたアーク」を見て以来、新作が公開されるたびに必ず観に行っている長期シリーズ物(全5作品コンプリート)。
後者のジブリ物も、同じくほぼ40年前(1984年)に風の谷のナウシカを観に行って以来、新作が公開されるたびに「お、ジブリか、観に行かなきゃ」とほぼ必ず観に行っていたものです。
つまり、どちらも、自分のなかで “覚えのあるブランド作品”。
40年前の、自分が二十歳代だった頃には、見ず知らずの新しい映画作品も観にいけてたけど、最近は映画については、“新しいチャレンジ” ができなくなっているようです。(苦笑)
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ともあれ、“覚えのあるブランド作品” を観に行きました。
インディ・ジョーンズの方は、主演ハリソン・フォードが、実年齢81歳の通りに老いた風貌で映し出されていて、時の流れを実感しました。
(ハリソン・フォードとポール・マッカートニーが同じ1942年生まれで、誕生日もほぼ1ヶ月違いであることに、いま気づきました)
この『運命のダイヤル』が、インディ・ジョーンズ・シリーズとしても 最後の冒険 と謳われているのも、否応なく納得をせざるをえない気がしました。この後の、“インディ第6作” は撮られることはないでしょう。(撮られてもあまり観たくないような気もします)
但し、この「運命のダイヤル」のなかで、八十歳代のハリソンフォードが、見事なアクション・スターとして大立ち回りを演じている様子は、本当にワクワクさせられました。
冒頭のナチス捕虜からの脱出シーンや、パレードのNYCを騎馬で駆け抜けるシーン、ヘレナの婚約者のギャングらに追われてモロッコの街中をトゥクトゥクで疾走するカーチェイスシーンなどで、いちいち立ち上がって拍手喝采したい衝動に駆られたものでした。
このワクワクは、まさにインディからの最後のプレゼントのような気がしています。
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一方、宮崎駿監督作品の方は、そう明解な一筋縄ではいきません。
(正確には宮 﨑 駿監督ですが、SEO的配慮も含めて、ここでは宮 崎 表記で進めます)
なにしろ、ティーザー広告などでの前情報がない。
なにやら鳥みたいなたったひとつのビジュアルしかヒントがない。
しかも、当初は劇場でパンフレットも売ってない。 …といった “偏屈” な封切り。
昨年の1月に、映画のことについて記した こちらのコラム でもお伝えしたように、私は、観に行った映画のパンフレットは 必ず買って 自分のコレクションとして保管し続けてきた人間です。
その私にとって、パンフレットが買えないのは、かなり致命的。
封切り当初はあえて観にいかず、「パンフレットが販売され始めたよ」と情報が流れるまでジッと待ち、満を持した上で、劇場でこのパンフレットを購入しました。

やっと手に入れたパンフ。が、内容をみると、パンフの販売が遅れたのは戦略ではなく「パンフ制作が間に合わなかったから」かも、と思える節もありました(^_^;
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宮崎駿監督作品の『君たちはどう生きるか』の内容について、さまざまな解釈がネット上で繰り広げられ、賛否両論が飛び交っているのは、みなさんご存知の通りです。
映画を観る前に、ネット上の口コミ情報などでネタバレをみてしまうことを嫌う人もいますが、私は、ネタバレ大歓迎で、事前にあらすじや結末までも情報を十分に知ったうえで映画を観るのが好きな人間です。
とくに、今回は(パンフレット売り出しまで)十分に時間があったので、いろいろとネタバレ口コミを調べて、事前リサーチをしていました。
ネット検索をしていて、いちばん深く腑に落ちた感想評論は、こちらの方の note記事 でした。
書かれたのはプロフェッショナルな執筆家(というか哲学者)の方で、深い考察に基づいて記されています。とても勉強になりました。
このnote記事を読んでから観に行った今回の宮崎作品は、監督自身が少年時代に書を手にとって読んだという、吉野源三郎さんの同名の著書のタイトルを、あえてそのままつけたという監督の思いや意図が、なんとなく(ほんとうに “なんとはなしに”)感じられるような気がしました。
監督は、このタイトルをつけた映画作品で何を世に問おうとしたのか
(あるいは、何を世に残そうとしたのか)
ネット上で “支離滅裂” とも表されるひとつひとつのストーリーやモチーフは、監督にとって何の象徴だったのか。
私の考えの浅さでは、とうてい真の本質にはたどり着けないような気もしていますが、前述の下西さんの記事を見てもわかったことがひとつあります。
この映画作品は、宮崎監督にとって
『君たちはどう生きるか』というよりは
『宮崎駿はどう生きるか』という意味合いが強いということ。
ある意味で、ハリソン・フォードが今回のインディ第5作を “最後の締めくくり” のように世に出したのと似た状況で、宮崎駿監督は、“自らの映画人生を締めくくる集大成” としてこの映画を生み出した。
そして、その “生き様” を見せられることで、私たち自身も(自分はどう生きるのか)ということを考えざるを得なくなっているのではないか。
(いま、ふと調べてみたら、宮崎監督は1941年生まれの82歳。 ハリソン・フォードやポール・マッカートニーとほぼ同年齢〜たった1歳上〜であることがわかりました)
そんなことを考えさせられた、暑い暑い2023年の夏でした。
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(付け足し)
今回のコラムテーマと全く関係ありませんが、我が阪神タイガース、2023年9月14日(木)の アレ (リーグ優勝)!まことにおめでとうございました。
ぜひとも、この勢いで、【日本一】の栄光もつかみ取ってください!!

ほんとに、ほんとに、おめでとう!おめでたい!
(と、この月のこのコラムで書き記さないと、次は18年後の2041年まで待たないと口に出せないような気がして、付け足しで明記させていただきました)