DX化しすぎは世を滅ぼす?

世の中はいままさに、DX化へ向かって、まっしぐらです。少子高齢化で生産労働人口が減りに減りまくって、人間の手が足りなくなっている日本国では、いっそうDX化の推進が求められていますよね。

政府が(普通のプラスチックカードの保険証で十分機能するのに)わざわざマイナンバーカードというものへ強制的に 切り替えさせようという動きも、そうした「デジタルで活路を切り開かないところに日本の未来はない思想」から来ていることは容易に想像できます。(そのわりには、日本のマイナ施策はボロボロのポンコツですが…)

しかし、デジタル化ばかりでも人間の生活はダメになる、ということについ先日気がついてしまった……という実体験報告が今回のコラムの主旨です。

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DX化は、企業がビジネス活動で生き残っていく「ビジネス界の中のこと」ではなく、一般市民の消費活動……つまり普通の生活にも着実に反映されています。
スマホでなんでもできる時代、というか、スマホがないと十分な生活ができないくらいになっている実情も、まさにそれを象徴している現象と言えるでしょうか。

どの商店もレジの横に使えるスマホ決裁のアイコン一覧表を掲げていますし、スーパーとかドラッグストアとか次々と「アプリをダウンロードしてください」「アプリを使うとお得な割引やクーポンやポイントサービスあります!」とアナウンスしまくりです。

ポイントといったらかつて ブルーチップとか ベルマークしかなかった時代の人間からすると隔日の感があります。
(ブルーチップって、まだ現役で存在してるんですね! もうなくなっていたかと思った ←失敬!)

ブルーチップ&ベルマークをリアルに台紙へ  ぺたぺた貼り付けていた昭和世代なポイント派の私も、ここ数年のうちに、ついに「財布無しで、スマホで買い物をする生活習慣」にすっかり馴染んでしまいました。

前回のコラムでも報告した通り、私自身、dとか  Rとか  Tとか  ポンタとかのポイントをためるために日々アプリをスマホで開いています。仕事の連絡メールやメッセージを受けるのもスマホ。そして、買い物でお金を払うのも(今までは、プラスチックのクレジットカードでしたが)スマホになっています。

現金払いは、もはや、「お金を払ってもなんのポイントも付かずに、一銭の得もない支払い方法」という認識になっています。
もともと、クレジットが使える店では率先してクレジットで買い物をしていましたが、その常用クレジットカードをスマホのクイックペイに連携させてからは、「Q」のアイコンを掲げたレジで、端末にスマホを近づけるだけで支払いを済ませるようにしています。

デジタル化の一環としての支払い方法

そうそう、このアイコンですね

もう財布から現金を出して使うのは、キャッシュレス一切無しのお医者さんに支払う時しかありません。
わりと最近まで郵便局でも現金を出していましたが、昨年末に年賀ハガキを窓口で買ったときにクイックペイで支払えるようになっていました。ハガキ代や切手代や、ちょっとしたパック包みの送料も、端数の1円玉を使うことなく払えるのは便利です。
デジタル払いの時代は、1円玉にさわることがない時代でもあります。

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スマホでお金が扱えるということは、「そのお金が自分のものである」という認証もスマホ経由で行われることになります。かつてはその仕組みが曖昧であったため、つい数年前にもドコモ口座の不正引き出し事件などが発生していました。

人としての認証(証明)もスマホ経由でする時代。というか、スマホに認証番号が届いて、それを入力しないと「自分だよ」という証明すらできない時代。
約50年前に『人間の証明』という小説&映画がありましたが、人の性(さが)の物哀しさを浮き彫りにしたあの名作とはうらはらに、現代の人間の証明はもう、ポケット手帳より小さくうすっぺらい四角型の機器にゆだねられてしまいました。なにやら一抹の寂しさも覚えます。

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さて、前置きが長くなりすぎました。私のつい2ヶ月前の実体験です。
状況は単純。外出先でスマホの充電が切れてしまったのです。

一台のiPhoneを(新機種に替えることもなく)長々と数年に渡って使っているために、バッテリーがへたっていました。バッテリー交換しなくちゃとは思いつつも、最大容量がまだ90%弱だったので  時期尚早 と問題先送りをしていたのです。

外出先で約8時間仕事をしていて、その間うっかり電気をよく使うアプリ(ポケモンGOという奴)を立ち上げっぱなしにして、終業時にはすっかり電池がカラになってしまっていたのです。
加えて、その日  充電用電源アダプタをもっていなかった、という敗因もあります。

ポケモンGOはバッテリーの減りが早いことで知られるアプリですし、それを多少なりとも消費電力節約する方法があることも知ってはいますが、すべてに渡って うっかり していたために「バッテリー残量ゼロ」の憂き目に遭ってしまったこととなります。

この日の仕事は、終了したタイミングである提携先に連絡を入れる約束をしていたのに、それができなくなってしまった。
その外出先の近くで、(ポケモンGOとは別の)地点チェックアプリで、Tポイントが稼げるチャンスだったのに、それもできなくなってしまった。
その他もろもろ、電車に乗って自宅に戻るまで  何もできない状態 を強いられることとなったのです。

これは、懲りました。

スマホは…つまり、電気を使うデジタルの機器は、電池がなくなるとまったく何もできなくなる
当たり前のことながら、その本質を改めて思い知らされました。

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そうなのです。
私は、もともと「デジタルをあまり信じない人間」でした。

私は、自分のスケジュール管理も、昔ながらの「紙の手帳」への手書きで、すべてまかなっています。
いまはスマホでのスケジュール管理ツールが発達して、Googleカレンダーに連動したり、自動リマインドしてくれるような機能も充実していることは重々知っています。

でも私はずっと、その紙の手帳です。
同じメーカーの、同じ品番の手帳を使い続けて、その バックナンバー を40冊以上保管しています。
一年に一冊の手帳なので、つまり、もう40年以上 そのダイアリー手帳を使っていることになります。

デジタル化をまったくしすぎていないツール

これです。スーツの胸ポケットに入る黒手帳

ありがたいことに、メーカーも(廃番や廃業もすることなく)ずっと同じ製品を 毎年毎年 発売し続けてくれています。感謝以外の何者でもありません。

私がなぜ、電子手帳の類を使わないか。それは、次の一言に尽きます。

電子は消える。
紙は残る。

前述の「スマホは電池が切れれば、ただの板」と同じことで電子のものは年月を経ると 消え ます。
時代が変わって機器の規格が変われば、同じデータを見返すこともできなくなります。
(βビデオとか VHSビデオとか MDとかが辿った道筋を思い浮かべれば、明白ですよね)

一方、紙の手帳は(火事や災害に遭わない限り)10年も50年も100年だって残ります。
古事記や日本書紀、源氏物語の写本が1000年以上経った現代も残っています(これらの原本はいずれも無いそうですが)
現に、私は20年前、30年前、40年前の何月何日なにをしていたか、その日にお金をいくら使ったか、即座に見返すことができます。

私が、新しいテクノロジー物にすぐに手を出す「イノベーター層」の人間だったら、そうしたことはまったくできなかったでしょう。

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ポイントなどの付加価値に引かれて、スマホ決済クイックペイに手を出している私ですが、立ち返るべき基本はやはりここです。

電子は消える。
紙は残る。

電子帳簿保存法が改正となって「義務化」されても、私自身のこの基調は変わりません。変えません。

電気や半導体が払底するだけで機能しなくなるデジタル依存は  どこか で抑えておかなければならない。
SDGsの主旨は素晴らしいけれど、それは必ずしもデジタル化だけでもたらされるものでは無いような気がしています。

デジタル化しすぎると国は滅ぶ(かも)

…などという乱暴なタイトルをつけてしまった今回のコラムですが、少なくとも、私の個人レベルとしては、昭和の時代や、もっと遡った 江戸の時代(※) の人の生活の在り方を忘れないでおきたいと思っています。

※江戸時代が「超エコ時代」だったことは ここ とか ここ を始め多くのページで紹介されていますもの、ね♡