40年の時を超えて村上春樹

昨2023年の春に発売された村上春樹さんの最新小説を2024年に入ってやっと読み終えました。
そう、『街とその不確かな壁』です。

もともと本を読む速度が遅いタチである上、(3月まで仕事の多くがリモートワークで済ませられていたのに、4月1日からは毎日外出して都内へ“通勤”するような仕事形態になったことも含めて)日常の中で本に向き合える時間がなかなかとれない生活になったというせいもあって、とても時間がかかってしまいました。
また、ご存知のように春樹さんのこの作品は600ページを超える大作でもありますので…。

*:.。..。

前作の『騎士団長殺し』の発表(2017年)から6年ぶりの長編小説とあって、私はまた久々にハルキ・ワールドを堪能することができました。

自分が10代の学生の頃から…つまり1979年の『風の歌を聴け』から、それに続く『1973年のピンボール』、『羊をめぐる冒険』という いわゆる “鼠三部作”からスタートして、少なくとも長編作品はほぼすべて、発売と同時に必ずハードカバーを購入して貪るように読んできた ムラカミハルキさん です。

本当のコアなファンの人や、村上春樹作品を深く読み込んでその描写世界への深い洞察を試みているような  “ほぼ研究者”  のような方々からしたら、本当に浅学な、底の浅い読者ではありますが、それでも自分の人生の40年以上をともに歩み、そしてその作品を読んでいたことから、春樹さんの作品は私の人生の各ステージにおける思い出に直接つながっているような存在ではあります。

ちなみに、長編策としての第13作『色彩をもたない多崎つくると、彼の巡礼の年』は、私が大阪に住んで仕事をしていた時期に読み、その次の第14作『騎士団長殺し』は、その大阪から関東に戻ってきて家族との生活を再スタートさせた時期に読んだものでした。

*:.。..。

生きるうえで何か悩みを抱えていたり、悩みの正体がわからないことが悩みだったりする主人公。
その多くが、“僕” とか “私” などと名前をもたない一人称で語られ、読者の私からみて 言い表しがたいような透明感 に包まれた男性であることも多い。
そして、すぐに(同じように透明さを感じさせる)女性と知り合って、すぐにセックスをする状況となる。
そして、ほぼ  どの作品も、主人公やその周囲の人物が 現実の世界と、“現実とはとても思えない不思議な設定の世界” の狭間を彷徨っていく設定。
現実とはとても思えない世界なのだけど、そこに「中央線の電車の中」とか、「名古屋の郊外の高校」とか、「四国の高松」とか、バリバリ現実的な場所も設定されている。
(今回の『壁』の中でも主人公の僕は「福島県の図書館」の館長に就任するという設定でした。その街は、具体的な町名ではなく「Z**町」などと記されていましたけど)

そんな、ハルキ・ワールド独特の世界観に、またこうしてどっぷり触れられたのは、うれしい限りでした。

しかも、読み進んでこの作品の周辺情報も耳に入ってきて、

●この作品はかつて1980年(春樹さんデビュー翌年)に、試作的中編として発表された『街と、その不確かな壁』を今回改めて書き直したものであること。

●しかも春樹さんは、この1980年の方の作品内容に満足できないことから、その構想を基として1985年に『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』を書き上げていたこと。

…を学習しました。

『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』は、私は、発表された年に、間違いなく買い求めて読んだもので、その本はいまでも私の書斎の本棚に並んでいます。

39年前のその時に読んで以来、その本はページを開かれることなく、私の本棚にずっと死蔵されたままでしたが、このタイミングで、もう一度読み直さないわけにはいかなくなりました。

この本も、厚さ約5cm。600ページ以上ある大作です。
遅読派の私は、これを読み直すのにもまた時間がかかってしまって、もとの『街とその不確かな壁』(2023年版の方)を読了した3月から遥かに遅くなって、5月の今、このコラムでネタとして書き記すこととなってしまいました。

*:.。..。

読み直してみて、我ながら驚いたのですが、約40年前に読んだこの小説の内容を、私はほとんど覚えておらず、「今初めて読んだ新鮮な印象」で読み進めることができました。
自分の記憶力の非力さには哀しくなることとしきりですが、でも、初めて読む新鮮さを改めて味わうことができるのはうれしいことです。

40年ぶりに(本棚から下ろされて)ページを開かれた本の方も、きっと喜んでくれているに違いありません。

39年前に買った『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』そのもの

これがその40年ぶりにページが開かれた小説本です

*以前、こちらのコラムで「電子は消える。 紙は残る。」という持論を展開させていただきましたが、まさに紙の本は、40年経ても、遜色なく読めるのです!(40年前の電子データはおそらくメディアの規格が変わって、使い物にならなくなっているでしょう)

*:.。..。

40年前の小説の内容は覚えていませんでしたが、ただ、この『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』が、【2つの違う話が、一章ごとに交互に書かれている構成】になっていることは、なぜか記憶していました。

40年前は、1章ごとに話が入れ替わるその忙しさに、やっとのことで追従して最後まで読み進んだことを、辛うじて覚えていたため、令和の時代の今回は、【はじめは奇数の章だけ先に読み進んで、それを読み終えたら次に偶数の章だけ読み進む】という読み方で進めました。

つまり、計算士の「私」が敵対する記号士や やみくろ達との抗争を続ける「ハードボイルド・ワンダーランド」の章だけを先に読み進んで、それを最後の第39章まで読み進んだ後に、影を失った「僕」が壁に囲まれた非現実的な街の中で生活を送る「世界の終わり」だけを最後の第40章まで読み進める、ということをした次第です。

40年前に 話のスジをひとつひとつ追い掛けながら苦労して読んでいたもの が、この「飛ばし読みシステム」でずいぶんとスッキリ…、つまり2つの異なる話のストーリー展開を十分にかみ締めながら読み進めることができました。

*:.。..。

そこで改めて気がついたのは、最新作の『街とその不確かな壁』と、1985年の「世界の終わり」は、物語の  “構成要素” がほぼ同じ(ただ展開や結末は異なる)であったということ。

40年前に読んだ内容をカンペキに忘れていたため、最新作を読んでいる時点では、そのことに気がつきませんでした。

『…不確かな壁』と「世界の終わり」が同じでできていることは、Wikipediaのこのページでも明記されていることです。
ので、これは私だけの発見ごとなどでは、まったくありません(むしろ、多くの人が知っている既知の事です)。また、まだ読んでいない人へのネタバレ行為にはならないものと認識しております (^_^;

*:.。..。

40年の歳月をまたいで『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』を読んだことは、最新作(『街とその不確かな壁』)への思いを深めることになったのみならず、かつて20歳代のときにこの本を読んだ自分の姿に思いを馳せるきっかけにもなりました。(そのころ私は、駆け出しのコピーライターとして 苦悩の底にあってもがき苦しみ、かつ転職ならぬ転社を試みて、蠢き回っていた頃でした)

「…ワンダーランド」で計算士の「私」がリファレンス係のスレンダーな女性と性交する場面の描写も “懐かしく” 思いましたし、非現実な地下世界にありながら、その出口が「地下鉄銀座線の線路」という超・現実的な場所(しかも、今現在、毎日私が仕事のために出向いている “通勤” の経路の途中にある、その地点そのもの)が描かれている点についても、まさに村上春樹ワールドを堪能させてもらったものでした。

*:.。..。

1985年のこの長編小説の内容を、ほぼカンペキに忘れていた、という体験から、私は、自分の本棚に蓄積されているその他の小説本群も同じように「内容をすべて忘れて記憶がリフレッシュされている」状態である可能性に気づかされました。

19歳や20歳のころに、貪るように読んでいた(はずの)『風の歌』『ピンボール』『羊の冒険』三部作も、記憶のディテールがすべてリフレッシュされている可能性が高いです。

この機に、それらをひとつひとつ読み返して、40年を超える年月の記憶を掘り返してみるのもいいかな、と思い始めています。
(『1Q84』の三分冊を読み返すのも、とても楽しみです)

*:.。..。

ちなみに、このコラムテキストは新潟に向かう上越新幹線のTREIN DESK席で書き上げました。
*以前のこちらのコラムでお伝えした、新潟県長岡市の大学での講師お仕事がまた始まり、毎週新幹線で現地へ通っているその 通勤時間 を利用して書いたものです。

新幹線ではWiFiも使えるし(湯沢以北のトンネル連続地域では使えませんが…)、仕事終わりでこんな↓

新幹線で楽しむワンカップ

長岡駅の売店で買った新潟のワンカップ群

状況で、極楽ともいえる環境で原稿がかけます。

新幹線の隣の席で、スタバのコーヒーを飲みながら乗車していた若いビジネスマン風の方、こんなワンカップを飲み続けながら90分ずっと原稿書きつづめている昭和親父が隣席になっていて、ほんと、ごめんなさい。ご容赦ください。

*でも、今、私の2列後ろの席で、90分間、周囲にはばからない声量でWEBミーティングをし続けている女より、マシですよ私は。 ←新幹線のTRAIN DESKってそういうところなんだよな、と今日 改めて認識しました。