この世で最後の「春の景色」

3月から4月にかけて桜が咲き、そしていつのまにか桜が散り、いまはツツジが咲いています。
私の住む地元の街では、毎年繰り返されるこの景色が今年も目を楽しませてくれました。
でも、その「いつもの景色」が来年からはもう見られない。まさに「見納めの春」となってしまうこととなりました。

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もっとも大きな変化は、私の地元の街の象徴ともいえる立派な桜並木が、この春を最後にほとんどすべての木が伐採されることになったこと。
「桜の木が老齢化し、落枝や倒木の危険性が高まってきたから」というのが、伐採を実施する区の土木事務所の説明。
「植えられている歩道の舗装が、木の根によって持ち上げられて歩行に支障をきたすようになった」という理由もあるようです。

桜ではありませんが、昨2024年の秋には東京・日野市でイチョウの枝が折れて落下し下を歩いていた若い男性に当たってしまった死亡事故も起きていました。

人の命にまで関わるなら、危険を未然に防ぐ判断はまぁ当然ともいえるでしょう。

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この街の桜並木は、私がここへ移り住んだ小学生の頃からありました。
当時、日本はまさに高度成長期の真っ只中。
1964年にあった最初の東京オリンピック開催の気運もあって、この街に限らず首都圏や全国各地で「街づくり」が活性化し、あちこちに桜の木を植える取り組みも活発になっていた時代です。
となると、私の街の桜並木も樹齢60年〜70年くらいになっているはず。
ネットで調べてもソメイヨシノの寿命はまさにそのくらい、との記述があります。

この街の桜並木についてはかつてこちらのコラムでも書き記していました。

その頃から1本また1本と伐採され続けてきたが、それを全面的に伐採&若木に転換、という一大プロジェクトをついに実行することにしたのでしょう。

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それにしても、いまある桜並木の木々はどれも直径1m内外。オトナが両手を回しても、とても抱えきれない太さに育った立派な桜です。
一方、土木事務所が植えようとしてる「若木」は、せいぜい直径10cmそこそこ
両手の親指と人差し指で作る輪っかほどの太さの「しょぼい木」でしかありません。

見納めになる地元の桜並木

伐採&植替え後は、こうした見事な並木の景色は見られなくなるわけです

若木が育って、またこのような「桜のトンネル」のような景観が見られるようになる頃には私はここに居ない、という確信も持っています。
つまり、私にとってこの景色はもうこの世で最後の見納めです。

かつて、自分の心の中で「世界のどの国のどんな絶景よりも、よく晴れた春の日に眺めるこの街の桜並木の桜吹雪が美しい!と強く思う」と感じていました。
それを、自分が生きているうちにはもう目にすることができないのは、もう言葉では表現できないくらい淋しく思えます。

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この春でおしまい、は桜だけはありませんでした。
駅前でもう50年近く営業を続けてきた駅前スーパー(1階がスーパーで、上階に書店や100円ショップやファッション店、インテリア店などが入ったショッピング施設)が全館営業終了、という憂き目になってしまったのもそのひとつ。

駅前が大規模な再開発でこの春から数年に渡って工事していく、というのが理由です。
その施設の前にあった駐車場で毎年行われてきた「さくらまつり」もその余波で今季を最後にもう行われない、ということになりました。

しかも、その「最後のさくらまつり」はあいにくの冷たい雨模様でした。
まるで涙雨のような、哀しい幕引きです。

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3月の中旬に、かかりつけの歯医者から突然電話が掛かってきたのにも驚きました。
「院長が急逝したのでこの3月で閉院します」との知らせ。

この歯医者には、小学生の頃からずっとお世話になってきました。(院長は代替わりしましたが)
歯の治療といえば、ここ一択。
そういった場所がいきなり閉院と聞いて、途方にくれたものでした。

そのほかにも、駅近くの昔なじみのラーメン店が気づいたら閉店して、居抜きで他の同業他店にかわっていたりして、本当にさまざまな景色が変わってしまった2025年の春でした。

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折しも、今年は「昭和100年」にあたるとか。
自分の生まれた年と、自分の年齢を足し合わせたらちょうど100になる。
なるほど、そんな節目の年に、慣れ親しんだものが次々と姿を消していくのも、なにかの巡り合わせかもしれません。

諸行無常を嘆きたい気持ちもある。
が、一方、生きている限りこうした「変化」はつねにつきまとうものであり、その変化を乗り越えていくのが「生きていく」ということでもある、という確信も持っています。

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変化は変化として受け入れる。そのうえで、本質的に大事なところを守っていく。
そうすることで、自分の人生という「世界」も持続可能にキープしていくことができる。
そんなことも考えさせられた春でした。

なにしろ人生はまだまだ続いていきますから、ね。
桜が散っても、ツツジが終わっても、私(たち)は歩き続けていかなくちゃ、です。