アンゼンアンシンが超不安

「言葉の定型化」が人と人のコミュニケーションに大きな障害をもたらしている、と感じることが増えてきました。
何気なく使ってしまっている言葉が、本来の意味をすでに失っていて、伝えられる側の人に不安や不満、イライラをもたらすという現象です。

例えば、時事ネタから入りますが、前回の投稿時はまだ関東が梅雨入りしていませんでした。
が、先週6月14日月曜の午前11時過ぎくらいに
「関東甲信地方が、梅雨入りをしたようです」
と、例によって曖昧模糊とした表現で関東の梅雨入り宣言がなされています。
エッセンシャルワークなどで、天候が気になる人にとっては特にイライラさせられる表現です。

私自身も「(梅雨入りを)したならしたと言ってくれよ」と毎年のように思うのですがどうも近年では、そう断言はせずに
梅雨入りしたようです
梅雨入りしたとみられます
梅雨入りしたかと思われます
…などと実に あいまいな発表のされ方になっています。

「近年では」などと書いてしまいましたが、ネット記事(これ とか これ とか)などを検索してみると、こういった表現は1995年とか1997年くらいからの慣習となっているようです。
20年以上前からの流れでした。

(1990年代とか、私の感覚ではほんのちょっと前のように思っているのですが客観的にみると大昔ですよ、ね)

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そうした気象庁のあいまいさ以上に、モヤモヤした感情を掻き立ててくれるのが、昨今のコロナ対策等についての政府の答弁です。

特にコロナ対策と東京オリンピック開催についての話題で、この国の総理大臣が連日のように
安全安心の(五輪実現)」
安全安心の(大会開催)」
「(日本国民の)安全安心
…とアンゼンアンシンを連発しています。(アンシンアンゼンの語順になる場合もあります)
これには、国会答弁の野党側や、記者会見の記者達もずいぶんとモヤモヤ・イライラしている様子です。

首相のコトバは、「安全」という単語や「安心」という単語の本質的な意味をロジック的に掘り下げて発せられているのでなく「アンゼンアンシン」というおまじない的記号として発せられるようなカタチになっているのが、聞く側のモヤモヤ・イライラを募らせるカタチになっていると感じます。

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言葉が本来の意味を失って(あるいは意味が薄まって)こうした おまじない化 してしまうのはよくあることです。

かつて私が、職場内で同じように おまじない化 を感じ取ったのは「ヌケモレ」という言葉でした。

業務上で必要な確認やチェック、リマインドなどを忘れないようにするために「抜けが無いように」「漏れが無いように」と注意を喚起するための言葉なのですが、
ヌケモレに注意しましょう
ヌケモレの無いようにしましょう
…などと口に出していっているうちに、「その抜けを無くすためにどうしたらよいか」「漏れをチェックするために何に気をつけるべきか」といった本質に気持ちが向かわずに、「ヌケモレ」という おまじない記号(=その4文字にさえ注意していれば仕事はうまくいく、という誤った認識)になってしまう現象が生じています。

ヌケモレではないワカモレ

(ちなみにこれは「ワカモレ」です ↑ )

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こうした「コトバの意味が薄まってしまう現象」を、私は 言葉のコモディティ化 と呼んでいます。
(あるいは、言葉の逆ゲシュタルト崩壊などと称してもよいかもしれません)
英語のcommodityは、それ自体は「必要な日用品」という意味ですが、言葉のコモディティ化は、必要な行動を喚起することが出来なくなるため、危険だと思っています。

前述の「ヌケモレ」も、企業が活動(生産活動や販売活動)を行う現場で必要な注意喚起ができなくなる点で、困りものですよね。

会社のクレドとか、社是とか、スローガンなどを策定するときにも気をつけなければならないところです。

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菅首相の実効的な根拠が説明されない「アンゼンアンシン」も、この国の舵取りそのものに関わっている事柄なので、大いに不安を感じます。少なくとも私は不安を覚えています。

首相官邸のこちらのページには、昨2020年の9月に菅首相が就任されたときの記者会見の発言内容が記載されていて、その中で首相は次のようにお話をされていました。

「国民の感覚から大きくかけ離れた数多くの当たり前でないことが残っている(と考えている)」

「それらを見逃さず、現場の声に耳を傾けて、何が当たり前なのか、そこをしっかりと見極めた上で、大胆に実行する(それが私の信念である)」

素晴らしい発言だと思いました。多くの国民にとって(少なくとも私にとって)、その当たり前をやってもらうことが望むことだったからです。

ただ、その後のもろもろを見ていると、首相は必ずしも国民からの目線で“当たり前”と思える通りのactionはなされていない場面もあるかのように見受けられました。(桜モリカケの再調査とか、財務局の再調査とか、学術会議の諸々とか、公選法違反した人たちの諸々とか…)

喫緊の課題であるアンゼンアンシン問題も、そのおまじないを唱えておけば、聞く人は納得するだろう…といったレベルの対応ではなく、本当に「安全」が守られて、「安心」に感じられるようなaction(行動も、発言も)を取っていただくことを願ってやみません。