世界的に、政治的にあれこれ物議をかもしていた beijing 2022〜北京2022オリンピック冬季大会。
あっという間に始まって、あっという間に終わりになっていました。
開会する前から、開会後にも、世界各地ではこのスポーツ大会を中国が開催することに異論を唱える人たちが(本当に世界中で)反対デモを展開していましたが、私は、全17日間テレビに釘付けであれやこれやの競技を見続ける毎日でした。
そこでまず感じたことは、
「やはりオリンピックは、面白い」
「やっていれば、つい見入ってしまう」
…ということです。
いかに社会的な問題を内包していたとしても、会場で競技に挑んでいる選手達に罪など(もちろん!)無い。
そして、
そこで繰り広げられている真剣勝負は、見るに値するし、見るべき魅力に充ち満ちている!
昨年夏の東京五輪2020のときとまったく同様です。
東京の時も開催の可否について賛否両論でしたが、結局、私はものすごく楽しんでしまいました。
(こんなコラムや、こんなコラムも、つい書いてしまいました)
後述する「非・国家性」にも関わることですが、オリンピックは「どこの国で開催されるか」はもはや関係ないのではないか、と思えてきました。
どこの国で開催しても、オリンピックはオリンピック。
五輪は五輪……それ以外の何物でもない!という気づきです。
..。.。o
五輪の「非・国家性」などというおおげさな言い方をしてしまいましたが、そこに気づいたのは、2022年2月4日の開会式をテレビ鑑賞していた時でした。
演出内容はもちろん、今回の北京五輪オリジナルの素晴らしいものです。
が、全体的な景色として、どうもどこかで見た覚えがある。
そうです。つい半年前に見たばかりの「東京五輪でみた景色」にそっくりなのです。
どちらも、基本的にコロナ影響で無観客。
“現地”でオリンピックの景色を眺める人は居ない。
私も含めた“観客”はほぼすべてテレビの画面のなかで“それ”(=開会式や競技や閉会式)を眺める。
見ることができるのは、五輪担当のテレビカメラマンが撮影している映像のみ。
そして、テレビカメラが切り取る景色は、だいたい同じようなカット、同じようなアングル、同じようなシーン。
それは、テレワーク全盛の時代に、オンライン会議のときに目にする景色が、どれも同じような(黒い画面の中が4分割になっていたり、9分割になっていたり、20分割になっていたりする)景色になっているのと同じようなリクツだと思われます。
世界中の打合せが「こういう景色」になっていますものね。今は。
「テレビの中の五輪の景色」は、それがどこの国で行われていても同じに見える。
開会式/閉会式で映し出される開催国の“観光的景色”にはその国特有の特色があるでしょうが、それ以外の「競技場の光景」や「選手が活躍する場の光景」や「観客席で(各国のスタッフやメンバーが)仲間を応援する景色」は、開催国によって変わり映えするわけがないのです。
たまたま、コロナで東京大会が周回遅れの開催になって、東京(夏)→北京(冬)の開催間隔がわずか半年くらいになったおかげで、両者の景色の類似性がとてもよく認識されてしまった次第です。
..。.。o
そこで考えると、五輪をもう、いろいろな国で開催しなくてもいいのではないか、という考えも出てきます。
招致のために多大な手間(と、おそらく多額の金銭)をかけることも要らなくなる。
招致だけでなく、実際の開催オペレーションでも近年、問題として取り上げられつつある
「五輪招致できたのはいいけど、そのコストで開催都市や国の経済に悪影響が出る」
「負の遺産が残りすぎる」
といった問題も気にかけなくて済む。
テニスのウィンブルドン選手権は、毎回ウィンブルドンで行われることに、伝統的意義があります。
高校野球大会は、毎回阪神甲子園球場(もちろん、我が愛するチームの本拠地球場!)でやるから憧れとなっています。
オリンピックも、たとえば発祥の聖地、ギリシャ・アテネを伝統の地とするようにしてもよいのではないでしょうか。
「ギリシャは経済がまだ大変なのだから、そんな案を出されては困る」という意見もでてくるでしょう。
東京&北京でも、コロナ禍のために無観客になって、チケット収入が見込めないといった話題も出ていました。
これも、開催国・開催都市のお財布で賄うといういままでのあり方でなく、国ごと開催でなくみんなで少しずつ出し合って楽しい五輪大会を実現するという “クラウドファンディング” 的な考え方で賄えば問題化しないで済む。
莫大なお金を出してくれる米国のテレビ局の放送の都合で、選手が熱射病になりそうになる灼熱の真夏の東京とか札幌でマラソンをする必要もなくなる。
某ぼったくり男爵が無理な持論やロジックを押し通して、ぼったくり批判されるようなこともなくなるのではないでしょうか。
(一方、お金をいっぱい出してプラチナスポンサーになりたい企業には大いに出費してもらって自社イメージをアピールしてもらっていいでしょう。それはそれで経済が活性化します)
2019年のNHK大河ドラマ『いだてん』を見て学んだ、オリンピック創設のそもそもの主旨からすれば、
「開催国へ、他の国の人がたくさん訪れて、そこでの景色や環境や文化や生活ぶりに触れることが相互理解と【平和な思い】が生まれることになる」
ということだったのですが、無観客・渡航無しの現代ではその主旨は半分以上失われている時代となっているわけですから。
..。.。o
そうしたことをぼぉ〜と考えていたら、閉会式の日、つまり2022年2月20日の某朝日新聞天声人語に、昨今の五輪の風潮に対して若干criticalな立場から(正確にいうとトーマス・バッハ氏へのcriticalな立場から)、次のような提案が書かれていました。
曰く、
4年に1度でなくてもいいじゃないか。
国別対抗でなくてもいいじゃないか。
主催は、どこか国連などでもいいじゃないか。
開催地はギリシャだけにしてもいいじゃないか
(↑開催地ギリシャは天声人語さんも思いついていました)
我が意を得たり、です。
ただ、冒頭でもお伝えしたように、私は五輪にcriticalな立場でなく、この催しをテレビで大いに楽しんでいる側です。
もっと見たい、もっと楽しみたい。
2月20日で北京冬季オリンピックが終わってしまって、むしろロスになっている人間です。
以下、今回の北京五輪冬季大会の全17日間で、私が楽しみながら気がついたことを細切れ羅列いたします。
..。.。o
■開会式
◆各国の入場行進が「中国語表記による国名の1文字目の画数が少ない順」だった:
「そんなの、中国人の人しかわからない順序じゃん!」というのが私のツッコミどころ。
昨夏の東京五輪で「あいうえお順入場」だったけど、これも日本以外の国の人にとっては「ワケのわからん順序ルール」だったであろうことに、改めて気がつかされた。
まさに他人のフリ見て、我がフリ直せ、の典型例。
(いや、これは別に直さなくていいのですが…)
◆「選手は1人です」という国が少なからずあった:
一方、カナダや米国は選手だけで200人以上。
スイスやスウェーデンも160人以上。
夏の五輪以上に、二極化になっている気がしました。
冬のスポーツは、夏のスポーツ以上に、行える環境が限定されてますから、ね。
だから、ジャマイカが入場してきた時は、応援したくなりました。
「サウジアラビアは初登場です」というアナウンスにも応援の拍手を贈りました。
◆「トーチがそのまま聖火」:
これには私も意表を突かれましたが、NHKの実況アナウンサーも、その瞬間や翌日から配信されているネットニュースもこぞって「そこ」をツッコンでいたので、これは私はあまり取り上げません。
– – –
■続いた「難儀」
◆スキージャンプ混合団体「高梨沙羅選手 スーツ失格」:
◆フィギュアスケート 男子シングル「羽生結弦選手 SPまさかの8位」:
◆スピードスケート女子団体パシュート「高木菜那選手 まさかの転倒」:
どれもこれも「どーゆーことよ!」と私はテレビの前で立ち上がってしまった案件。
高梨選手は1回目の成績(点数)が全部蒸発した後、2回目で団体チーム全体が奮起して、「1回目終了時8位」から「2回目終了時4位」へ。
羽生選手はショートプログラムで「氷のアナにハマった」といってまさかの「8位」から、翌日のフリープログラムで「4位」へ。
こんな難儀に遭って、最終4位だったのなら、難儀が無かったらゼッタイに3位以内。
つまりメダル獲得。しかも相当上位のメダルが獲れていたはず。
(…という タラ・レバ・ハズを言っても意味無いのですけどね)
パシュートでの菜那選手も「氷のミゾにひっかかった」とのことで、決勝レースの金メダル直前最終コーナーで転倒して「銀」に。
羽生選手と同じような「氷のコンディション」でこういう結果になるとは、「北京の氷はどうなっているのか!」と、これもテレビの前で思わず声をあげてしまったものでした。
(ただ、いずれも「他の選手も同じコンディションで勝負をしている」と考えると、どうにも気持ちのもっていき場がなくなるのですが…)
..。.。o
■スノーボード
◆技の名前を判りやすくしてもらえないか:
「ダブルコーク」「トリプルコーク」は見ていて、学習できました。
タテに2回転、3回転ですからね。
問題はヨコの回転。
テレビで実況アナウンサーが瞬間的に叫ぶ名前ではわからないのです。
「ワンエイティー」が聞こえて、
「テンエイティー」が聞こえて、
さらに
「フォーティフォーティ」と読み上げられて(厳密にはフォーティーンフォティー)、
「エイティー」というアナウンスもあって(厳密にはエイティーンハンドレット)、
「ナイン」があるうえに(厳密にはナインハンドレット)、
「ナインティー(ン)エイティ」という叫びも挙がる…。
聞き分けができないし、聞けても技の内容が入ってこない。
「半回転」「3回転」「4回転」「5回転」「2回転半」「5回転半」と、言ってよ!
日本語では聞き映えが悪いというなら、せめて
「シングルスピン」「トリプルスピン」「クワッドスピン」「クイントスピン」「ダブルハーフ…」「クイントハーフ…」とか直感的にわかる名前にしてほしいよぉ。
…と願ってやまない私でした。
◆平野「金」も凄かったが、女子のビッグエアも頑張った!:
女子選手たち、頑張ったし、若いし、名前もキラキラしてる!
村瀬心椛選手
岩渕麗楽選手
鬼塚雅選手
最後には銅メダル獲得された心椛選手をテレビ画面で応援するたびに私の頭のなかではこのメロディが流れていました。
そして、手首を骨折していたにも関わらず超大技の「トリプルコークアンダーフリップ1260」をカマしてきた麗楽選手の「ロックぶり」にはMステーションばりにこのイントロフレーズ!
※ちなみ「1260」と言われても電卓で計算しないと何回転だか、わからないです。わからないでしょっ。
同じく、怪我などの恐怖心を超えて挑戦をした鬼塚選手のお名前は「鬼」と「雅」のダブルインパクト。
曲はダイレクトには浮かんでこなかったが、なぜか一周回って、この曲に。
– – –
■フィギュアスケート
◆選手が選んだ楽曲でもアガれるのが醍醐味!:
曲つながりで言えば、今回印象深かったのが、エルトン・ジョン。
私が高校生時代、リアルタイムで新譜を聴いてレコード(ブラックディスクのLPです)を買い込んでいた青春思い出のアーティストです。
ビートルズのLPも買っていましたが、それ以上にエルトン・ジョンのLPを買っていました。
男子シングルのゴールドメダリスト、米国ネイサン・チェンがフリープログラムで選んでいたのが『Rocket Man』。
途中『Benny and Jets』も入っていました。
また大会序盤で行われていたフィギュア団体で、日本の樋口新葉選手が選んでいたのは『Your Song』(のカバー曲)でした。
(これは本人原曲)
その他にもよく見ていると、多くの出場選手がカブって選んでいるラヴェルの『Borelo』やプッチーニのオペラ曲『Turandot』と並ぶくらい、多く選ばれているような印象がありました。
さすがだぜ、エルトン!
– – –
◆やはり話題から外すことができないフィギュア女子シングル:
日本の坂本花織選手が、見事、銅メダルを獲得しました。
しかし、そのウラには、今回の絶対的強者(かつ、標的にされた絶対的弱者)ともされたROCカミラ・ワリエワ選手の存在がありました。
敢えて、ここで書いてしまいますが、ワリエワ選手に2月10日時点でドーピング疑惑の話が持ち上がらなかったら、坂本選手のメダル獲得はなかったと(私は個人の意見として)思っています。
ショートプログラムで、ワリエワ首位、シェバルコワが2位、坂本が3位、トゥルソワが4位となり、フリープログラムではこの逆順で演技。
フリーで、トゥルソワが「4回転5本セット」という異次元のメニューを見事にこなして暫定首位になった後、坂本が演じて2位に。
そのあとシェバルコワがトゥルソワのさらに上の得点を叩きだしたことで坂本は3位へ。
最後にワリエワが演じて、評判通りに1位に躍り出たら、坂本選手はメダル圏外へ押し出される、という流れを、少なくとも私は想像して「日本、ヤバいじゃないか」と気が気でない思いでいました。
ところがワリエワが、まさかの転倒続出。彼女が4位の点数を出したおかげで、坂本選手はメダルが獲れる3位に残れた、という結果でした。
もちろん、これは「ミスしたワリエワ」と「まったくミスしなかった坂本」の必然的な違いであることは間違いありません。
ただ、ワリエワがそういったミスを犯さざるを得ないくらい、ひどいメンタル状態であったことも想像に難くありません
さらに私はダークな裏読みをしています。
それはワリエワの周囲が、彼女に「あなたが3位以内に入るとメダル授与式が行われなくなる(とIOCや国際スケート連盟が決定発表している)」と耳打ちし、そうすると「シェバルコワやトゥルソワまでメダルを受け取ることが出来なくなる」、だから「あなたは3位以内には入らないように」と事前に引導を渡しておいて、ワリエワは泣く泣く「そのような試合」をした、という裏読みです。
それがあたっているか否かについてはともあれ、坂本花織選手が銅メダルを獲得したのは、まさにワリエワ不調という背景があったことは否定できない でしょう。
坂本選手を始動している中野園子コーチもメダル確定後のインタビューで「(坂本勝因は)運だった」と答えていたそうですから、まさに私らなどと同じ印象を抱いていたのだろうと思います。
..。.。o
坂本は(実力も含めて)ラッキーでした。
ワリエワは不憫でした。ゼッタイ15歳の少女に罪は無い、と私は信じているので。
彼女が今後もこのスポーツを続けてくれることを祈っています。
(彼女の功罪については、名前の中に、悪ぃ悪ぃと エェわエェわ、という両方が含まれている、などというくだらないシャレを思いついてもいましたが、書くのをやめました)
..。.。o
ともあれ、bajing 2022、北京オリンピック冬季大会は終わってしまいました。
もう、いつテレビをつけてもどこかの局で必ず魅力的な試合ゲームを映してくれている、という夢のような日々は終了です。
つまらないです。
次は、3月アタマから、「bajing 2022 パラリンピック冬季競技大会」が始まるまで、なんとか毎日をこらえて生きていこうと思います。