首都高も「60歳」で大修繕

テレビの特集番組で「首都高速道路の大修繕」の様子が取り上げられていました。
昭和のド真ん中ともいえる1962年に開通して以来、約60年を経過した首都高が、老朽化で、構造物的にもうボロボロ。
本当に満身創痍、という感じで、いま手を入れないといつ “落ちる” かもわからない状態になっていて、それを、“落ちない” ようにするために最新の技術と、関係者の方々の献身的ともいえる努力で10年以上を費やして 大・大・大修繕 をしているとのことでした。

1962年といえば、前回の東京オリンピック(1964年)の直前。
首都高が、日本国の威信をかけて開催したこのスポーツイベントに間に合わせるために、大幅に工期を急いで東京中心部の交通網として完成されたものだったのは、よく知られているところですよね。

個人的には、最近すっかりリモートワークの毎日で、外出する機会そのものが少なっているし、クルマに乗るのも週末に近所のスーパーマーケットに買い出しに出る時のみ。走行距離にして週7kmくらいしか走っていない身の上になっています。が、かつては毎晩のように深夜残業をして、都内の職場から毎晩タクシーに乗って、首都高を飛ばして帰宅していた記憶(*)がある自分としては、首都高は、ぜひとも60歳の老化現象に負けることなく、元気に立ち直ってもらいたいと思っています。

(*)こうした記憶は、昭和の時代の広告代理店仕事に携わっていた方なら誰でも共通体験があると思います。
24時間戦えますか」というキャッチコピー(CMディレクター黒田秀樹さんが生み出してくれた名コピー!)に代表されるとおり、毎晩27時28時(=午前3時や午前4時)まで残業して、帰宅するときは会社にタクシー呼んで、神奈川県の自宅まで、毎晩約1万円チョイのタクシー代を払って帰っていました。タクシー代はもちろん、会社の経費。月額20万円くらいになっていた。いま思い返すと夢のような(←悪夢も含む)時代でした。

ちなみに、首都高は自分の運転で走るのも好きでした。道幅が狭くて、クネクネ曲がりまくって、ちょっと怖いけど、「運転を楽しめる」コースですよね(渋滞していないときは)

首都高とか、高速道路を、愛車で走る生活から遠ざかっている今、私、ちょっと遠い目で、思い出の世界を彷徨っています。

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一方、ふと気づいて周囲を見回すと、この「60年」「60歳」「老化」「老朽化」といったキーワードが首都高だけでなく、さまざまところで取り上げられているのに気づきます。

たとえば、「ビルの老朽化・解体」という話題。
こんな番組もありました。『解体キングダム』。
対象は、私も週に1回は仕事で出かけていく東京・新宿駅の西口の真っ正面に建っていた「明治安田生命 新宿ビル」。
24時間眠らない街(←これ、ちょっとウソ)にある、利用乗降客数世界一を誇る新宿駅の目の前にある巨大なビルを、近隣の環境に悪影響を与えないで安全かつ安心の解体を行う様子をレポートした番組でした。
(おかげで、現地は、いま、キレイサッパリと更地化されて、次のビルの建設工程に進んでいます)

ここで取り壊された明治安田生命ビルが、かつて竣工したのが1961年。これも見事に「約60歳モノ」です。
60年の年月を経て、構造物(もしくは営業拠点)としての賞味期限が終わり、解体すべき存在になった、ということですね。

この新宿西口のビルに限らず、都内では昭和のランドマークとも言えるビルが、次々と解体・再開発されています。
虎ノ門にあった、ホテルオークラ東京(開業1962年)
電通が汐留に本社を移すまで本社となっていた、電通築地ビル(竣工1967年)も、ほぼ「60歳モノ」。

渋谷の東急百貨店東横店は、もうちょっと古くて東館が1934年、西館が1954年、そして南館が1970年生まれ。
汐留・電通のちょい隣にある、黒川紀章さん設計の、中銀カプセルタワービルは、1972年生まれ。(←チョイ若い)
丸の内の皇居を見下ろす位置にある煉瓦色の元祖・超高層ビル、東京海上日動ビルディング本館(竣工1974年)(←チョイ若い)も解体が決まりました。

みんな、「時代の役割を、一区切り、終えた」ということなのでしょう、ね。

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東京都内の、著名な建築物だけではなく、人が住む街ではいたるところで「60歳モノの老化現象」が起きているようです。

こんな報道も出されていました。今年2022年7月の報道記事です。
埋設は60年前 水道管破損で2万戸超断水 仙台・台原

水道管などの生活インフラの老朽化も、まったく笑えないものです。

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神奈川県の郊外地にある私の地元でも「60歳の老化現象」は起きています。
インフラの問題ではありませんが、私がもうウン十年暮らしている地元の街で、商店街沿いに並ぶ桜並木がここ近年でバッタバッタと伐採されています。

理由は「樹木が老朽化して(枝がぼとんと折れ落ちたりして)危険になってきているため」。
樹木ドクターが来て、1本1本診断をして、危険と診断されたものに「これは伐採します」と貼り紙を貼ります。
そして、数ヶ月のうちには伐採要員がチェーンソーできれいさっぱり切り倒していきます。

この街が出来たのが( ≒ この一帯の開発を手がけた私鉄会社がこの街に駅を作ったのが)まさに、1960年代。
駅前から続く沿道に桜の樹を植えたのも同じ時期。
そして、その桜の樹が「約60歳」を迎えて、イノチを全うする(全うさせられる)こととなったのが、この数年の出来事というわけです。

樹の寿命としては、確かに、「台風の翌朝に人間の太腿くらいの太枝が折れて落ちて」いたり、車道側に張りだした枝が「背の高いトラックコンテナにぶつけられて簡単に折れて」しまったり、ということで、樹として弱っていることは見てとれるのですが、それにしても、長年生きながらえたものを切断処刑する様には、いささか憤りを感じるものです。

この街の見事な景観を形作っていた桜の樹は、伐採された後に「まだ花もろくにつけないヒョロヒョロの若木」が植えられる場合もありますし、場所によっては何も植えられずに「ただ切り株だけが残されている」という状態のところもあります。

地元の桜並木

この風景画像に写っている桜は、いまでも毎年、1本、また1本…と切断処刑されています。

管轄する区役所の緑政課に「この街の景観を守れ!」と苦情の電話を入れてもみましたが、行政はあまり市民の言うことを聞いてくれてはいないようです。

「60歳」になって、弱ると、切り捨てられる。

哀しい気持ち以外、何も生まれてきません。

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思えば、首都高も、都内のランドマーク建築物も、仙台の生活インフラも、そして、私の地元の桜並木(というか街そのもの)も、ちょうど「約60歳」を迎えている。
そして、構造物としての耐用年数が、奇しくも約60年となっていて、それが、21世紀に入ったこのタイミングで次々と「ガタ」が来ている、という状況なのでしょう。

1960年代という時代が、いろいろな意味で「この日本に、新しいものが生まれたタイミング」であった、ということもできるかもしれません。
そこで生まれた「いろいろなもの」が、いま「約60歳」を迎えているわけです。

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さらに60歳というと、十干十二支が一巡して「元の暦に戻る」とされる 還暦 という言葉が思い出されます。
改めて考えてみると「60歳」「60年」は、なにかしらの具合が悪くなる可能性があることを思い出させてくれる年月の長さなのかも知れません。

厄年」というのが、実は「体調を崩しやすい、身体の周期」に基づく取り決めだというのと似ていますね。

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そして、ここで、重要な点がもうひとつ。
そう。
私自身が、まさにこの「60歳問題(問題?)の当事者です。
健康にはずいぶんと気をつけているつもりです。
コロナには罹っていないし、特に大きな疾病はない。
メタボでもないし、体脂肪率は10%以下を保っている。
しかし、いろいろな意味での、私の耐用年数はどうなっているでしょうか。

自分ではその判断は出来ません。が、ただひとつ言えることは
負けてたまるか」です。

ええ、負けませんとも。
自分の耐用年数は、自分でどんどん更新していくつもりです。

好きな言葉は
青春は、終わったと思った時に終わるものである(終わったと思わなければ、いつまでも青春)

誰の言葉だったか、思い出せません。
タカサワミネユキさんの言葉だったかもしれません。

*以前のこちらのコラムや、こちらのコラムでも、常にNHKの番組ネタを出してしまっています。今回の解体キングダムもNHKネタでした。NHKさん、本当にいつもありがとうございます。受信料、しっかりとお支払いさせていただいております。