十分に昭和生まれの人間なので、つい、その昔のスタイルが身に染みついています。
使っているモノや、生活習慣や、接するメディアも得てして旧来型。
テレビを見るのが大好きです、というお話や、いまでも紙の新聞を購読しています、というお話も当コラムで取り上げさせていただきました。
広告業界で「4大マスメディア」(略して「4マス」)と呼ばれているものの一角である「ラジオ」も当然のように大好きで、毎日ほぼ欠かさず聞いています。
聞きたい番組があるからその時間にスイッチを入れる、ということは無く、また、その番組を流す局にチャンネルを合わせる、ということもありません。
ただ「ラジオが聞きたい」というときに、ただ電源を入れる。
局はつねにJ-WAVE、一択。
電源を入れたときにたまたまやっている番組とか曲とかCMとかを聴き、必要がなくなったら電源を切る。
ただそれだけの、“メディア接触” です。
典型的な ながら視聴 ですね。
でもラジオはそれができるのが、良いところだと思います。
この点について、賛同してくれる昭和世代の人は、少なくないのではないでしょうか。
但し、ここで「昭和世代の人は」と、ことさらに限定した書き方にしなくてはならないかな、と気づかされることが最近ありました。
*:.。..
いつものようにJ-WAVEを、何気なくつけて、何気なく聞き流していたら、CMタイムになり、次のようなキャンペーンの告知が耳に飛び込んできました。
『スピーカーでラジオを聴こう”キャンペーン WE LOVE RADIO』
LOVEです。愛にあふれています。
キャンペーンの正式(フル)名称は、こう↓ 超・長いです。
『民放ラジオ99局“スピーカーでラジオを聴こう”キャンペーンWE LOVE RADIO松任谷由実 50th ANNIVERSARY ~日本中、ユーミンに包まれたなら~』
キャンペーンの詳細は、こちらの公式サイト に記されていますが、全国の民放ラジオ「99局」合同での、大・大・大キャンペーンのようでした。
「ラジオを聴こう」ではなく、「スピーカーでラジオを聴こう」というキャンペーンメッセージが、強く印象に残ります。
こういうキャンペーンが大々的に行われるということは、「スピーカーでラジオを聴く人が減っている」という前提があるはずです。
なるほど、今は、そうなのかもしれないな、と改めて気づかされました。
*:.。..
スピーカーで聴く、どころか、ラジオそのものが聴かれなくなっている。聴取者がどんどん減っている、という調査結果は、もう十数年前から目にしているような気がします。
2022年2月付けで公開された 電通報のこの記事 では、「4マス媒体すべてを合わせた広告費が、ネット広告費に追い抜かれた」とあります。
「4マス媒体全部」と十把一絡げに合計されていたものの内訳を調べると、同じく電通の この調査レポートのデータ表 で、
テレビ:1兆8,393億円
新聞 :3,815億円
雑誌 :1,224億円
ラジオ:1,106億円
…と記されていました。
つまり、ラジオはマスメディア四兄弟のなかで最弱、となっているわけです。
これらは聴取者数の具体的な数値ではありませんが、ラジオという存在が、そこそこ斜陽的な位置にある様子は、十分に想像できます。
また、こちらのオリコンの記事 によると、「2000年から2010年までの10年間で、ラジオ受信機そのものが減少・衰退の一途を辿っていた」とあります。
家に、ラジオやラジカセが何台もあって、どの部屋でもラジオのスイッチが入れられる昭和生まれの私からは想像し難かったことですが、「ラジオという機械」そのものを持たない人が多くなっているのですね。

私の家にいくつもある「ラジオ機」のひとつ。古いラジカセですが、まだまだ現役です。「カセ」を聴くことはさすがに少なくなりましたが…
テレビも見ない。テレビ機も持っていない。新聞、読まない。紙の新聞を手にしたことが無い。
(さらに、クルマ乗らない。クルマ要らない。酒ほとんど飲まない。お金も時間もそこには使わない)
自分の生活は、ほとんど全部、スマホの中で完結する。
…という近年の若い世代の流れが、まさに、ここにも押し寄せていた、ということになりますね。
そして、その苦境を乗り越えるために、スマホでラジオ番組を送り届ける ラジコ(radiko)が2010年に誕生した、と、前述のオリコン記事に記されています。
ラジコは相応に(とくにスマホ・ネイティブの若い世代で)使われているようですが、その事情も踏まえた上で、冒頭の「スピーカーでラジオを聴こうキャンペーン」が企画されたのだろうということは、容易に想像できます。
スマホ→イヤホン/ヘッドホン、ではなく、スピーカーで部屋の空気を経由して、ラジオを聴いてほしい!という想いを届けるキャンペーンですね。
私も、この企画主旨に、賛成です。
良いメッセージだと感じました。
イヤホン/ヘッドホンは、自分と外界を遮断するものですが、スピーカーから出る音は、部屋の空気を震わせて、そこに居る人間すべてに共有される/結びつけるものですから。
とくに、コロナやら、リモートワークやらで人と接することがない生活が多くなっている最近の生活様式では、せめてラジオを入り口として、人が近づくことは悪くないと思いました。
*:.。..
これは、昭和世代人間の、単純なノスタルジーかもしれませんが、【ラジオ】というものそのものが、映像やネットコンテンツとは違う意味で、人の心を惹きつける【人間くさい】存在のような気がしています。
このテーマでコラムを書こうと考えた時に、真っ先に思い浮かんできたのが「ラジオ・デイズ(Radio Days)」という言葉でした。
ウッディ・アレン監督が30数年前、このタイトルそのままで、名作とも言える映画を作っています。
スピッツは、同じタイトルの楽曲をリリースし、鈴木雅之さんも、このタイトルのアルバムを出しています。
いずれもラジオデイズ(ラジオの時代)は、“懐かしく、楽しく、かけがえの無い、あの頃” といった感情を映し出すものとして、使われています。
私が敬愛するRCサクセッションでも、ラジオを題材にした『トランジスタラジオ』や、
さらにそれに勝るとも劣らない大・大・大名作『雨上がりの夜空に』も、ラジオが題材として登場します。
ミュージシャン(音楽系アーティスト)の人たちにとっては、ラジオは自分たちの作品を直接的にユーザーに送り届けてくれるビジネスチャネルでもあります。
それゆえに、思い入れが深くなり、作品の題材にすることが多くなるのでしょう。
これは、大いに頷けるものです。
*:.。..
私も、ラジオは大好きです。
ネットメディアがどれだけ発達しても、少なくとも私の家からラジオ機が無くなるようにはしません。
ラジオ = なぜか心惹かれるもの = なぜか人間くささを感じるもの
どうしてなのかはわかりませんが、私の中にも、そういった認識があります。
そういえば、私が東京コピーライターズクラブ(TCC)という業界団体のアワードで、最高新人賞を受賞したとき、私は「ラジオCM」を作品として応募し、受賞しました。
このコラムのタイトルを「ラジオはいつまでラジオでいられるか」といった文意のものにしましたが、本心として、ラジオはいつまでもラジオのままで在り続けてほしいと思っています。
*:.。..
ラジオのスピーカーから流れ出てくる、音と声が、人の気持ちを引き寄せる。
だから、私は今日もスピーカーでラジオを聴く。
私の稼業である、文章〜言葉も、もっと もっと そうした働きかけができるようなものを生み出していきたいところです。
*あと、来月10月4日発売の、松任谷由実さんの50周年記念ベストアルバム、買います!