家康さんに心からの御礼を

先月に、出張で新潟へ出かけて、約1週間の滞在中、お天気が とても良くなかった ことを ご報告 させていただきました。
その出張から戻ってこの12月、私が住む関東一円は、かなり快晴の日が続いています。
天気キャスターは「今週も関東は晴れが続き、寒さと乾燥が注意ポイントとなります」というアナウンスを繰り返しています。

一方、同じ天気キャスター達が口を揃えて言っていたのが「日本海側の北陸、信越地方および東北地方、天候が崩れ、大雪や突風の恐れがあります」といったものでした。
実際、ニュース映像は、連日の「大雪」で、雪かきに苦労する当地の人々や、車の列が立ち往生しかけている映像を毎日のように映し続けています。

この年末〜冬の季節、日本海側は 天気が悪い のです。
そして関東エリアは、好天が続きます。

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関東に住んでいる者の勝手な思い込みかもしれませんが、一都三県を中心とする関東は、他の地域に比べて、天気に恵まれることが多いような気がしています。(本当に勝手な思い込みだったら、ごめんなさい)

前述の通り、冬場 は、西高東低の=「冬型」の気圧配置で、関東は晴れが続きます。

梅雨 の季節は関東にも当然ありますが、「線状降水帯」という呼び名が使われることが多い、九州を始めとする西日本エリアより、関東の雨は  “非・災害的”  のような気がします。(千葉の方で、たまに線状降水帯が発生するようですが)

台風 のシーズンも同様に、沖縄や九州エリアは被害を受ける確率が高いように思え、「台風○○号は、関東を直撃します」とアナウンスされると「へえ、珍しいな」という気持ちになります。

また、私は大阪に住んでいた時期に、天気予報で「関西や東海エリアは大雨の予報が出されても、関東はそれほど降らない」という予報を聞いて、「ああ、関東はやっぱり天気が荒れにくいんだな」と感じた記憶があります。

関東に戻ってきて、全国の天気予報を見続けていても、「関東は一年を通じて天候が荒れにくい」という印象を強く感じています。

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実は、私、この点について、徳川家康さんに感謝をしています。

日本の首都・東京が、現在の今の位置にあるのは、家康さんが江戸に幕府を開いてくれたおかげです。
家康さんが、当時の経済・政治の中心である京都・大阪からはるか離れた辺鄙なこの地に「江戸」を作らなかったら、関東平野の中心にある東京が、日本の首都にはなっていなかったわけですからね。

家康が江戸に拠点を設けたのは、地勢面や天候面などすべてを把握・分析した上でのことだった——それらの判断から、都市インフラがあまりなかった田舎の土地を「ここが良い」とわざわざ選んだという逸話は、有名です。こちらの東洋経済の記事でも、詳報されています)

関東を選んで幕府を開いた徳川家康

ほんとに、この方のおかげです。徳川家康さん

戦国時代の大名は城を構えるときに、山や谷や川など、土地の形などを十分に見きわめて、守りやすく攻めやすく、産業も繁栄しやすい場所を選んで築城したようですが、その中でも群を抜いていた 家康さんの先見の明 に驚愕するしかありません。

歴史が一歩間違えて、家康でも、秀吉でもなく、上杉謙信が天下統一を果たしていたら、新潟が日本の首都になっていたかもしれません。
それはそれで面白い if かもしれませんが、もしそうなったら首都・新潟では、現在と同じく雪と共に暮らすこととなっていたでしょう。

以前のコラム で記したように、私は、新潟出身だった私の実父が若い時期に思い立って「東京」へ出てきて、結婚して、その結果、私が生まれて、この関東の「天候の荒れにくい土地」で暮らすようになって、現在に至っています。

いうなれば、今の私のこの人生があるのは、大きくさかのぼれば、家康さんが天下統一して、江戸に幕府を開いてくれたおかげともいえるわけなのです。

この2023年、NHK大河ドラマの『どうする家康』、そして同じくNHKの夜時間帯のドラマ『大奥』で、徳川という日本史上で大きな流れを生み出した「政権」の成り立ちと、その推移・終焉を、時空を超えるような思いで眺めながら、私は、「そもそもの始まりの家康さん(元の松平元康さん)」の人生に思いを馳せたものでした。

多くの歴史ドラマのおかげで、にわか歴女ならぬ にわか歴オジと化してしまった私です。

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『どうする家康』や、その派生(PR)番組を見ていて、もうひとつ気がついたことがありました。(この大河ドラマは、視聴率が思ったほどには奮わなかったらしく、NHKは挽回のために、盛んにPR番組を全時間帯でばらまき放送していました 苦笑)

家康は、劇中でしばしば「戦のない世の中をつくりたい」とつぶやき、行動を起こします。

当時、戦国武将の多くが、同じように「戦を無くして、安寧の世を作る」ことを目標として、その結果、戦を繰り返していたわけですが。
そうした数多くの武将の中で、 唯一 、家康だけがその目標を果たして、「戦のない世の中」が250年以上も続く、その礎を作ることに成功したことになります。
ドラマを見ていても、天下人・秀吉はあくまで、「戦を続ける政治方針」を貫いていたようですからね。

大河ドラマの最終回で、家康率いる徳川幕府は、戦がない時代の「新しい武士の仕事の在り方」を生み出すのに苦心していました。

私には、これが、家康が成し遂げた 産業革命(←歴史上で資本主義経済に向かうプロセスとしての厳密な意味のものでなく、おおざっぱな意味での【産業構造の変化】という意味で)なのではないか、と思ったのです。

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戦国時代は、武士が闘う「戦」をすることで領地を獲得して、そこから得る米の量(石高)を持って武士の暮らしを成立させていた。

一方、戦がない世では、武士は仕事がなくなる。

闘って手柄を立てる場もないし、領地を新たに獲得することもできない。

「石高」は幕府側に全部決められる運命にある。

幕府は、武士階級に、戦で手柄を立てる以外の新しい仕事を与えて、彼ら生活者に俸禄(米での支給)を与える構造を設けなければならなくなったわけです。
(社会全体を見れば、それとは別途に商業活動で利益をえる商人や、武士階級に年貢米を収める農民という存在もありましたが…)

これは、戦国時代の【産業構造】とはまるでちがう在り方だったに違いありません。

秀吉が、朝鮮出兵で 海外の領土 を狙うなど、「戦をしつづける選択」をしたのも、その産業構造を変えることができなかったからにほかなりません。

結果として、家康は、「産業構造の変化」をやってのけ、続く歴代の将軍たちもその“産業”を支え続ける努力を続けたことになります。(戦のない江戸時代が約260年、続いたわけですからね)

NHKの『大奥』でも(登場人物達が赤面という伝染病の対策に奔走するという本筋の脇っちょで)その努力の片鱗がうかがえました。
同じNHKの『歴史探偵』では、水戸黄門こと徳川光圀が、実は、悪を懲らしめるための諸国漫遊でなく、自領内で新たな産業を生み出すために奔走をしていたという検証がなされていました。

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とりあえず、今私が住んでいる関東エリアでは、さほど天気が荒れない日々を送ることができています。
そして、とりあえず、戦争で領土を拡大しなくても日々の暮らしが送れる環境にあります。
(世界的視点では、ここらへんは、かなり危うく、微妙な時代に突入しつつありますが…)

まずは、そうした世の中の礎を築いてくれた、家康さんに、感謝をしたいと思っています。

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余談ながら、2023年12月末の今の時点で、日本では【パーティーの券を売って、その売上げで仲間の懐を温かくしている政治家さん達】のことが大問題になっています。

これも、戦乱の世を、太平の世に切り替えるために、新しい財源の確保に苦心をされた家康さんのように、【新しい産業構造】を生み出そうと作り上げたスキームなのでしょうか。

まぁ、そうは考えたくはないものですね。